明日食うお金も無いんです!僕にお金をくださぁああい!
同情じゃ飯は食えんぞ
『不幸アピール』
不幸話は時代を問わず人気だと思う。
成功話ばかり聞いててもお腹いっぱいになるし、失敗談の方が優越感に浸れて良い。
なんかの漫画で『安全であることの愉悦』なんて言葉を聞いた事があるが、正にその通りだと思う。
他人の不幸は蜜の味ってヤツですね。
しかし同情を求められると途端にウザくなる
しかし不幸話や失敗話は聞いてて面白いのだが、『同情』を求められると途端にウザくなってくる。
この前、新車を買ったばかりなのにさっそく当て逃げされてしまった・・・一応保険は効くみたいだけど・・・
そりゃ災難だったな。どんまい。(似合わない車乗るからだよ。
みたいな会話も、
この前、新車を買ったばかりなのにさっそく当て逃げされてしまった・・・ねぇ俺ってめっちゃ不幸じゃない?かわいそうじゃない?苦労してない?だからお金くれない?
うぜぇえええええ(廃車になれば良かったのに。
となると話を聞きたくなくなる。
僕はとにかく不幸になったアナタの話を表面では心配しつつ、内心ほくそ笑んで聞きたいだけなのだ。
人の不幸話がなぜ人気なのか?なぜ聞きたくなるのかというと、自分は安全な立場、違う立場で聞けるからだと思う。
崖に片腕で捕まってる人を、安定した地面の上に座りながら見るのが面白いんです。
テレビでまで不幸話は聞きたくない
不幸話は内輪でするのが面白い訳で。
それをテレビで放送すると途端に胡散臭くなる。作り物感が出てしまうと思うのだ。
売れてない芸能人に特に多い、とにかく不幸だったんだアピール。
多少の不幸話ならばいいのかもしれないが、もう一から十まで不幸話、苦労話。
テレビに出る度に不幸話、貧乏話。
私ってこんなに不幸なんですよ!苦労してるんですよ!
って感じの話を聞くことが多いが、アナタは芸能界って世界で不幸話だけでのし上がっていくつもりなのですか?って事ですよ。
苦労するのはどんな職業でも一緒だろうと。
『私不幸なんで同情してください!』感が強すぎて、なんか嘘なんじゃね?ってなってしまうヤツもいる。
そもそも、本当に不幸な人は笑いながらテレビで話すことは無い訳で。
なんちゃって不幸キャラは長続きはしないと思う。
同情誘って金持ちになれるのなら、もっと売れる苦労話持ってる人はたくさんいると思うのだ。
現在進行形で不幸な人達に、笑顔を届ける職業の人達が何をテレビで不幸話してるんだと。
昔は暖房器具も買えずに寒さで震えてました!
って空調の効いたスタジオで綺麗な衣装着て言われても何も伝わらんぞと。
まとめ
不幸感をアピールしてくる奴は僕の周りにも多い。
哀れみや同情で注目を集めても、それは結局哀れみや同情でしか無い訳で。
不幸話は決してメインになるものではない。あくまでスパイス的な要素で使うべきだと思う。
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