1か月以上ぶりのブログ・・・
書きたくてたまらんかった・・・
『九州豪雨災害』
令和2年7月4日朝7時分頃、僕は人生で二度目の『被災』をした。
今回はそんな話。
『まさか』は常に起こりえる
夜中の1時頃、大雨警報が鳴っていたのも知っていた。
でも警戒レベル2とか3は割と経験していた為、あんな大変なことになるとは思ってもいなかった。
僕が住んでいる地域は台風も多いため、川の氾濫については割とピリピリしていた方だと思う。
川底も掘ってたし、堤防も高くしてあった。
ちょうど60年ほど昔に起きた川の氾濫以降、うちの地域では大きな台風や大雨が続いても川が氾濫することは無かったのだ。
だから安心していた。だから警戒レベル3が発令された時も、氾濫するなんて事は頭にも無かった。
きっとみんな同じ気持ちだったと思う。だから大勢の人が亡くなったのだと思う。
僕がいつもと違うと感じたのは『警報レベル4』が発令された時の時間だった。
正確に言うと『レベル3』が発令されてから『レベル4』が発令されるまでの時間が異様に短かったこと。
いつもならば『レベル3』が発令されてもしばらくすると解除されたりすることが多かった。
しかしこの日は『レベル3』が発令された数時間後にはもう『レベル4』が発令された。
結果的に『レベル4』の数十分後には『レベル5(氾濫発生)』となっている為、僅か数時間で川の水位が急上昇したのがわかる。
『いつもと違う』と感じれるか否かが生死を分けることを痛感した。
僕は何か嫌な予感がし、まだ朝の5時頃だったがとりあえず妻と子供を起こすと手に持てる程度の荷物を持って避難をする事にした。
通帳や印鑑、財布にスマホだけを持って車に乗り込んだ。
この時もどうせまた帰って来れるだろうと、それ以上の荷物は持たず家の中はそのままにして避難所へと移動した。
ちょうど避難所に到着してから1時間後、僕の家より更に下流の方で河川が『氾濫』したとニュースがあった。
生まれて初めて『警戒レベル5』を見て、鳥肌が止まらなかったのと同時に家にある荷物の心配が芽生えた。
必要なものを取りに行くか行かないかでかなり葛藤した。
服や家電、漫画やゲーム、もちろん子供の物なんかも置きっぱなし。
「車でいけばまだ間に合うかもしれない」、そんなことを思ったが何か嫌な予感がした。
下流が氾濫してから時間にして、20分程度だったと思う。
僕の自宅がある地域でも氾濫が起きた。
僕が住んでいる地域が浸かるなんて考えてもいなかった。
心のどこかで、『ウチは大丈夫』だと思っていた。
たくさんの家が立ち並んだ地域だったのに、当時の僕の目の前にはただただ濁った川だけが広がっていた。
水が引いたのはそれから1日後だった。
道路にある泥に足を取られながら自宅に帰ってきたのだが、2階まで浸水しており、家の中は見るも無残な状態だった。
『まさかこんなことが起こることは無い』って思っていた。
それが如何に根拠が無いものなのかはっきり分かった。
復興は頑張るとか頑張らないのレベルじゃない
復興作業は連日続けてはいるが、捨てざる得ないものが多すぎて辛い。
復元出来そうなものは何とか分けてるが、ほとんどの物を捨てている。
というより9割近く捨てるしかないぐらい泥まみれになっているが・・・
小学生の頃から集めてた漫画本も全て捨てた。
小さいころからお小遣い貯めて買った本だったが捨てた。
何度引っ越ししても持って移動していた大事な漫画本だったが捨てた。
家電も全て捨てた。
家具も全て捨てた。
泥の重みで天井が落ちてきたし。
浴槽もひっくり返っていたし、キッチンもトイレも酷い有様。
修理にはいくらかかることやら・・・
元の生活レベルに戻るのはいつになるかは分からないが、今回の災害で感じた事がある。
復興は『頑張るとか頑張らないとかのレベルの話では無い』ってこと。
この期間ずーっと「復興頑張って!」と言われてきた。
しかしこれは頑張るとか頑張らないとかのレベルではないと感じた。
ボランティアの方とかもたくさん来てくれた。それは素直に嬉しいことで喜ばしいことで感謝すべきことなのだが・・・
頑張って頑張ってと声を掛けられても、何だか見下されている気がしてならなかった。
もちろんそんなつもりで言ってる人はいないのだろうが、精神的に参ってる時のこの言葉は逆効果だと悟った。
『寝るところも帰るところも確保されている』人からの『頑張って』は本心に聞こえないのだ。
安全なところからの『大丈夫』と同じ。
僕が捻くれているだけだったのだろうか・・・
とにかくこれ程までに『頑張って』が嫌いになることなんて今まで無かった。
『同情するなら金をくれ!』を本気で言いたくなったのは後にも先にもこの時だけだろう・・・
水よりも、食料よりも、お金。
なんかゲスなヤツで申し訳なくなるが、コレが真実だと思う。
まとめ
なんかすごい病んでる内容になったが、なんとか持ち直すしかない。
備えなんてものは、『もしかして・・・』を考えれる人でなければ出来ない。
災害を無意識に『他人事』として認識していた僕には備え何てものは無かった。
『まさか』は常に起こりえることを意識しておくしか生き残る術は無いのだ。
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